小田原城

概要

概要

北条氏の本拠地となったことで有名な城。一般的に有名なのは戦国時代での征伐戦「小田原城の戦い」でしょうね。日本100名城にも選ばれ、天守内には当時の事柄や城の模型から、十文字槍や二又鉾、火縄銃や甲冑などといった戦国時代の必須アイテムが展示されているほか、各地の城の写真もある。最上階は例に漏れず展望台になっている。
天守閣や本丸の一帯は「小田原城址公園」として公園整備されている。梅や桜、藤、花菖蒲、蓮、紫陽花などの四季の植物が植えられており、中でも桜は城の雰囲気ととてもマッチするからだろうかとても美しく、日本さくら名所100選に選定されている。他にも動物園や図書館、郷土文化館などがあるほか、遊園地や市役所、学校、野球場といたものもあったが、1970(昭和45)年に文化庁から「城に関係ない施設は撤去すべき」と求められたことで徐々に姿を消していった。まあ当然だな…。ただし遊園地は観覧車などのあからさまに景観をぶち壊すものは撤去されたものの、子ども遊園地として豆汽車やバッテリーカーがある状態で現在も運営されている。

歴史

戦国時代では「北条家」という大名がこの城を居城としていたが、元は平安末期、小早川遠平なる人が居座っていたが、室町時代に大森氏が奪取、築城された。そして時は戦国、北条早雲が大森氏から小田原城を奪取、以降は北条家の城となった。3代目北条家「北条氏康」が当主の時はあの武田信玄や上杉謙信の侵攻を退け、難攻不落の堅城としてその名を轟かせた。その後も改良に改良を重ね、もはや手の付けられん鉄壁の巨城となっていった。だが、1590年には天下人となりつつあった羽柴(後の豊臣)秀吉が天下統一の総仕上げと北条家の篭る小田原城にて開戦。鉄壁が売りの堅城小田原なので当然北条家は篭城戦に移る訳だが、日本全国を味方につけている秀吉軍の物質は小田原城など比ではなく、小田原城を各方面より包囲した。物量の差を見せる為に「一夜城」を築いて北条家のやる気を削いだり、兵糧攻めや支城攻めで北条軍を不利に追いやりで、秀吉軍は圧倒的に優勢となった。その頃、降伏か抗戦か篭城かで北条軍はひたすらもめていた。長時間議論して結局結論が出ない事を「小田原評定」と言うそうだが、この事柄が語源となっている。結局は決まらない評定を延々続けた結果兵糧不足に陥り、北条軍は降伏、秀吉の天下統一が成ったという事です。この戦を「小田原征伐」または「小田原城の戦い」という。
その後の小田原城含む北条家の領土は徳川家康に渡り、腹心の大久保忠世をこの小田原城に置いた。明治以降は神社を建てる為に城の殆どを取り壊し、その後は関東大震災で二の丸は崩壊、石垣もほとんど崩れた為、昭和初期から復興作業が始まる。ただ、予算の都合で石垣や二の丸の規模が本来の物より小さくなっている。その後は天守閣が鉄筋コンクリート製となって復活した。そして2015(平成27)年に「平成の大改修」として耐震補強工事や各所修復、展示品リニューアルなどが行われ、翌年5月に改修完了、再公開となった。
なお、戦国時代の小田原城は大砲が3台装備されていたそうだ。

戦国無双や三国無双がわたしの小学校時代にあったら歴史のテストは常に60点以上だったろうに…。一応信長の野望はあったけど、当時のわたしアクションゲームしか興味持たなかったから…。

  • 小田原城外観
  • 小田原城外観

天守閣

駿河を一望できる天守閣

510円で天守内に入れます。撮影当時は400円だったのだが、不景気ですからねえ…。小田原城や戦国時代の歴史や写真や模型、レプリカか本物かは不明だが当時の武器や甲冑が展示されている。
平成の大改修にて展示品がリニューアル、グラフィックによる説明が増え、1階にはシアターも設けられた。触れる展示品も追加された。また、最上階にあった土産コーナーは「ミュージアムショップ」として1階に移動された。
最上階まで登るとこれまた展示品リニューアルで新たに展示された江戸時代の小田原城天守にまつられていたとされる武士の守護神として信仰されてきた摩利支天像が安置されている。
最上階より外に出れば展望台へ出る。ここからは駿河や一夜城などが見れますし、晴れればフジヤマだって見れますよ。写真は桜を撮ったんですが、安全対策の為だと思われる金網がばっちり写った。まあ金網柵はそれ程高くはないんで、何とかすれば金網が入る事無く遠景を撮る事ができます。この柵は小田原市当局からの要望で付けられた。きっと意図的またははしゃぎすぎによる飛び降り防止のための柵だろう。観光名所で死亡事故なんて致命的なイメージダウンですから…。

左の写真が天守最上階からの眺め(安全柵付き)。右が同じく天守最上階から望む駿河遠景。もしかしたら湯河原付近かもしんないけど。

  • 安全柵
  • 駿河遠景

小田原城の桜

城と桜のコントラストの趣や良し

前述のとおり小田原城は日本さくら名所100選に選定されるほどの桜の名所でもあります。春になれば桜の花びら舞う非常に趣のある所です。それと同時に、花見名義で飯と酒をしこたま喰らって一般客の邪魔と化すおっさんどもで溢れます。花見場所取りの激戦区の一つなので、ここで花見をするなら早めに確保した方がいいだろう。あと、一般観光の場合は時折絡んで来るおっさんに注意。俺が行った時は7~9分咲きの状態だったので、結構いい感じに咲いてました。調子に乗ってガンガン撮りまくって来たんで、まあゆっくり春を感じろ。まあ実際に見た方がいいのは言うまでもないが。
上2枚/1~2枚目は小田原城外観、左下/3枚目は天守閣から望む桜、右下/4枚目は城址公園の桜。写真はないが堀の桜も見ごたえあります。

  • 桜・小田原城外観
  • 桜・小田原城外観
  • 桜・天守閣展望台
  • 桜・城址公園

ウメ子

真の小田原城城主

小田原城址公園に動物園があり、そこに象がいました。メスのインド象で名前が「ウメ子」。ちなみに猿や孔雀、鳥類などもいました。猿は本記事再執筆時現在(2023.6)もいるらしい。
最初は花見シーズンの子供向けの特別企画に連れてきたものかと思ったが、50年以上もここ小田原城の小さい小屋に入れられていた。管理状態が極めて最悪だった為同情する声が多々挙げられており、「噂の東京マガジン」でもその様子が放送されたようだ。
昭和25年に博覧会で連れて来られたが、あまりに好評だった為、予定変更で長い事象はここでの飼育されていた。無料で象を拝めるのはここくらいだと思われるので、小田原城行ったついでに見る観光客も多かったのか、賛否両論あったものの結構な人気があった。一部ではこいつこそが小田原城の城主ではないかという声も出ていた。
この動物園も1970(昭和45)年に文化庁から「城に関係ない施設は撤去すべき」と求められた対象のひとつだが、この象が死んだらこの動物園は閉鎖するという約束で存続していた。

ウメ子、逝く

2009年9月17日、そのウメ子が天に召されました。昭和25年に連れて来られてなんと62年も生き続けた奇跡の象です。小屋は狭くとも、象にとっては小田原の気候は丁度良かったのでは、と飼育員は話しているが、信憑性は欠く一方。ここでの飼育生活はこの象にとって本当に幸せだったかどうかは俺には解りかねるが、でも何だかんだで市民や観光客に愛されたからこそ長生きできたんじゃないかな。
同年10月17日にゾウ舎前にて「お別れ会」を開催、その時に「市民功労賞特別賞」が贈呈された。

ウメ子亡き後の小田原城動物園

その後、ウメ子への感謝の気持ちということだろう、オリジナル切手や短編映画が出たりもしたらしい。また、撤去したゾウ舎跡にウメ子のレリーフが設置された。なんだかんだ市民からもよく愛されていた証拠ですね。
なお、ウメ子存命の限りと約束していたはずの小田原城動物園ですが、2011年の時点でニホンザルが飼われており、撤去の予定はないらしい。おまえ・・・。
・・・と思われていたが、2023年12月にそのニホンザル(全7匹)が茨城県内の動物園に引き取られることになったそうで、その後はサル舎も撤去され、ついに閉園することになったとのこと。1970年の文化庁からの要請から実に53年経っての完全閉園である。…本記事再執筆時現在(2023.6)の段階ではまだ閉園されていなので、本当にこれで閉園されるかどうか、まだ油断はできないけどな…。

ウメ子

アクセス

小田原駅より歩いて3分程で小田原城に着く。案内板もあるし駅からも見えるので迷う事はないだろう。

カテゴリーで表示※複数選択ができます。

都道府県で表示※複数選択ができます。